BOΦWYのプロデューサーであった佐久間正英さんが、深夜にアップしたブログから


今回の震災後不思議なほどにBOΦWYの話し、ことに再結成話しに解散以後初めて公が触れた様に思う。
震災後の布袋君のtweet「今何かできること…」の発言に対し、僕は無責任に「今こそBOΦWYを!」みたいなコメントを寄せた。
実に無責任ではあるけれど、かつての仲間の一員だった者としてそれしか思いつかなかった。そしてそれは自分にとっても多くの人達にとっても同様にずっと夢であり希望でもあったのかも知れない。

BOΦWY解散後、その後のメンバーの活動に最初に関わったのは松井君のソロアルバム『よろこびのうた』だったかと思う。BOΦWYでの立ち位置とは全く別の視点からの音楽がとても新鮮でありかつ斬新な意欲作だった。
ほとんど同時期に氷室京介の『NEO FASCIO』の企画が飛び込んで来た。
丁度そのタイミングで急な病気を患って緊急入院をした。その入院先に松井君とヒムロックが一日差で見舞いに来てくれたのを思い出す。もちろん町の小さな病院はパニックだが。
退院そうそうの初仕事が『NEO FASCIO』。病み上がりにはあまりに重い仕事だったのを思い出す。2ヶ月近くギターもベースも手にしていなかったので、感覚を取り戻すのに必死だった。「Summer Game」のギターソロ、指が痛いのに何テイク弾いたことか…。結果プロデューサー人生の中でも特別な想いのあるアルバになった。
その後ドラムの高橋まことのDe-Lux をプロデュースし、その後のバンドGEENAにも関わった。ヒムロックとも時間を置いてからまた一枚シングルに関わった。
そんな思い出話はともかく。
いまだにBOΦWYを思い返すと、あんなすごいバンドはあれ以後存在しなかったなぁと思う。もちろん時代は多様化しいいバンドはたくさん居たし今のバンドでもそうだと思うけれど。それでも当時のライブバンドとしてのBOΦWYを越える演奏ができるバンドには残念ながら出会ったことは無い。(BOΦWYとは違った視点で言えば、エレカシやジュディマリやGLAYや筋少らのライブはもちろん本当に素晴らしいけれど)
タイトでスピードがありかつヘビーなのに何とも柔軟だった。そのくせ眩しいほどの華があった。ロックのロックたる所以と歌謡曲に通じる大衆性を見事に併せ持っていた。それを究極にシンプルな構成で具現していた。
BOΦWYのことを文章化するなど生まれて初めてだけれど、そんな感想と憧憬を未だに抱く。そんなバンドだから再結成に夢を託してしまうのだな、と改めて思う。
一度解散したロックバンドの再結成ほどみっともないことは無い!と自分がロックバンドを続けていた身として確信している。それでも彼らだけは別だったな、と。


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